動画「ジンチョウゲの思い出 宮本英一さん」の中で、昭和28年生まれの宮本さんは、「幼い頃、路地にはまだ植木ものがあまりおかれておらず、今よりも広かった」と語っています。
次の2枚の写真は、昭和22年から23年にかけて撮影された月島3丁目宮本家の前の路地。お向かいの山本さんのところには、まだ植木ものや鉢植えが置かれていませんでした。路地は広く、殺風景で、まだまだ戦後の暮らしに余裕がなかったことが想像できます。
そして、次の1枚が昭和31年8月7日に同じ路地で撮影されたもの。この頃になると、山本さんのところに植木ものや鉢植えが置かれるようになったようです。少しずつ時代も落ち着いてきて、植木ものを楽しむ余裕が生まれてきたのでしょう。
この日は、佃の住吉神社大祭の日。宮本英一さん(手前左)と姉が花笠をかぶっています。その後ろに立っているのは、山本さんの長男・くにおさん。この子は「子ども御輿」を担いだと思われます。戦後の路地の変化を知ることのできる貴重な写真です(源記)
この日は、佃の住吉神社大祭の日。宮本英一さん(手前左)と姉が花笠をかぶっています。その後ろに立っているのは、山本さんの長男・くにおさん。この子は「子ども御輿」を担いだと思われます。戦後の路地の変化を知ることのできる貴重な写真です(源記)