昭和26年生まれの大山さんが生まれ育ったのは、月島12丁目(現在の勝どき)、新島橋のたもとにあった臨港駐在所(大山さんの父は月島警察署配属の警察官でした)。大山さんが幼い頃の新島橋の思い出です。 ちなみに、この動画の収録場所は、話し手でもある大矢つる子さんが切り盛りする月島三丁目の「牛もつ元気」で…
昭和4年生まれの鈴木さんが子どもの頃の貴重なお話です。川沿いの倉庫街では壁にボールをぶつけたり、トロッコで遊んだり。橋の下では釣りをしたりちょっと危険な遊びをしたり。学校の先生が当時はよく巡回をしていたという話もあります。そして、車がほとんど走っていなかった時代、…
町会をはじめ、地域活動に長年に渡り携わってきた鈴木さん。これまでに盆踊り大会、釣り大会、歌謡ショーなど数々の地域イベントも行ってきたそうです。 中でも平成9年から11年間続けた阿波踊り大会は、佃中学の校庭からスタートし、西仲通り商店街、黎明橋を経て、トリトンス…
月島3丁目の路地の一角で「牛もつ元気」を営む大矢さん。創業は平成9年(取材時で23年)。店を始めたきっかけは友達にふるまった牛もつをほめられたこと。その変わらぬ味と大矢さんの人柄にひかれて、連日常連さんが通い、遠方からテレビや情報誌を見てやってくるお客さんがあとを…
「常連がいいお店を育てる」と言われることもありますが、「牛もつ元気」のお客さんにその魅力を訪ねると、味はもちろん、「常連さんの人柄の良さ」というフレーズが異口同音に飛び出します。あけっぴろげな地元の常連さんたちは、互いに思ったことをはっきり言いあうこともあるそうで…
「月島を出ようと思ったことは一度もない」「ほかでは暮らせない」という大矢さん。長屋の暮らしの中で当たり前にしみついてきた挨拶、声掛け、困った人がいたら助ける、といったつながりを大切にし、今も続けています。思ったことをストレートに口に出す性分は下町気質なのでしょうか…
大矢さんが月島3丁目の路地の一角で「牛もつ元気」を一人で初めて23年(取材時)。過去にお店の存続にかかわる出来事と言えば「狂牛病」。牛肉が一切世の中に出回らない時に、大矢さんは常連のアドバイスで「おでん」に切り替えて約3年営業し、窮地を乗り越えたそうです。その後も…
かつては清澄通りの月島橋のたもとにあった消防署(京橋消防署月島出張所)。そこに勤務する消防署員だった大矢さんの父は、非番の日には下駄職人として知られていたそうです。下駄の歯継ぎが得意で、できあがった品物をお得意さんのところに届けるのは、(女性ばかり!)7人姉妹のう…
昭和29年生まれの中島さんが生まれ育った月島1丁目周辺を歩きながら、いろんな思い出を語ってくれました。 今はビルが建っている角にあった実家は精米店から仕出し弁当屋になりました。近所には中島さんが産まれたお産婆さんの家、印刷屋、工場、洗い張りをやっていた家、よく…
中島さんの「実家のあった月島一丁目周辺の想い出」の続きです。 実家のあった交差点から、中島さんが通っていた佃島小学校があった場所(現在は月島スポーツプラザ、月島幼稚園)のあたりの思い出を語ります。運動会の日、父親が握った大きなおにぎり、近所のもめ事を父親が飛び…