昭和4年生まれの鈴木さんの貴重なエピソード。現在の豊海付近には遠浅の海岸があり、アサリ、ハマグリ、シオフキといった貝類がたくさんとれた。夏になると新聞社が経営する海水浴場がにぎわったといいます。 原っぱばかりだった晴海には「どでかい陸軍病院」がありました。これ…
町会をはじめ、地域活動に長年に渡り携わってきた鈴木さん。これまでに盆踊り大会、釣り大会、歌謡ショーなど数々の地域イベントも行ってきたそうです。 中でも平成9年から11年間続けた阿波踊り大会は、佃中学の校庭からスタートし、西仲通り商店街、黎明橋を経て、トリトンス…
月島は、戦後、警察署、消防署、学校などの公的機関の引越しが多い土地です。稲垣さんは地図を示しながら、消防署や警察が移転した場所や理由をお話してくださいました。晴海にあった飛行場、開発が進み倉庫や貨物船が停泊していたエリアなどについても触れています。 伊勢喜酒店…
以前、(今の)月島2丁目にお住まいだった神居さんからご提供いただいた写真です。 以下、いただいた写真説明です。 (神居さんにについてはこちらをご覧ください) 晴海に「小野田レミコン(小野田セメント)」があり、これを搬出するのに鉄…
以前、(今の)月島2丁目にお住まいだった神居さんより、写真をご提供いただきました。ありがとうございました。 以下、神居さんからの文章と、写真とキャプション(神居さんからのものを一部調整)を掲載します。 ***************…
昭和30年生まれの左久作さんが小学生くらいの記憶でしょうか。当時はどの水辺にもたくさん浮かんでいたというミズクラゲを、爆竹を使って…という思い出です。 飛び散ったミズクラゲの臭いまでよく記憶していらっしゃいます。 (さらに&he…
昭和34年に開場、平成8年に閉場した晴海国際見本市会場にまつわる2つの楽しみ。昭和30年生まれの左さんが小学校3年生から6年生くらいの思い出です。 見本市が開かれていないときは誰もいない空間。そこは子ども(悪ガキ)たちの格好の遊び場でもあったようです。 後…
中澤孝子さんの中学生の頃の光景。50年来のお付き合いがある荷出さんと一緒に、歩きながらの会話です。 ご両親を早く亡くし、お兄さん夫婦に育てられた中澤さんは中学生の頃に勝どきに暮らし始めました。 今、大きなマンションが立ち並んでいる場所には2階建ての小さな家…
中澤さんのご主人は「東港運輸」という筏会社に勤めていた筏師。動画では、以前お隣さんだった荷出さんと晴海トリトンスクエア横の遊歩道を歩きながら、かつての朝潮運河の様子を語ってくれています。 ご主人は平成4年頃に退職し、その頃はまだ筏が多くあったということです。 …
中澤さんが、筏会社で働いていた夫の仕事のことについて語っています。 夫の英吉さん(昭和7年生まれ)は栃木から出てきて、最初はおじの経営する神奈川の木材会社に勤めてから、月島にあった東港運輸株式会社にうつったようです。(平成4年に定年退職) 英吉さんはサラシに半纏を羽織って仕事をしていた時期があっ…