都電が走っていた頃、月島には多くの工場がありました。豊洲にあった石川島重工業も最盛期だったようで、毎朝、都電を降りて職場に向かう人の列が見られたようです。「月島を過ぎたらガラガラ」で、通り沿いにあるタバコ屋は東京有数の売り上げがあったいい、高度成長期を象徴するよう…
豊洲にあったテニスコートのところに、かつて高射砲隊があり、B29が石川島造船所を狙って飛来してきた際、その高射砲によって撃ち落されたことがあったようです。昭和10年生まれの稲垣さんの記憶です。 [youtube-adds id="https://y…
昭和30年前後の記憶でしょうか、友達と月島八丁目(現在の勝どき)から歩いて東雲に海水浴に行った思い出です。暑い夏、なけなしのお金で先にアイスキャンディを買って食べてしまい、帰りはへとへとだったこと、おいていた衣類が満ち潮でびしょ濡れになってしまい、帰りは裸でかえってきたことなどを…
中澤孝子さんの中学生の頃の光景。50年来のお付き合いがある荷出さんと一緒に、歩きながらの会話です。 ご両親を早く亡くし、お兄さん夫婦に育てられた中澤さんは中学生の頃に勝どきに暮らし始めました。 今、大きなマンションが立ち並んでいる場所には2階建ての小さな家…
履物「あづまや」の四代目店主・楠さん(昭和28年生まれ)のお父さんは、もちろん三代目ということになりますが、趣味が高じて、東雲に釣具屋・釣船屋も営んでいました。月島の人も東雲まで足を運んで、主にハゼ釣りを楽しんだそうです。 (さらに&hellip…
楠さんの小学生時代の思い出。楠さんのお父さんは、履き物屋とは別に東雲(しののめ)で釣り道具・釣り船屋も営んでいました。そのこともあって、友達とよく遊びに行っていたそうです。当時、東雲はまだ草むらで、そこで見つけた弱ったシラサギを学校に持ち帰ったり、オオト(トノサマ…
櫻木さんの子どもの頃の遊びの話です。子どもたちは上町(うわて)、下町、東町(むかいちょう)ごとに遊んでいたようです。佃の渡しから伸びる渡船場通りでは野球をやったり、時には東雲都橋の方まで歩いてハゼ釣りに出かけたこともあったようです。下町には漁師が多く、お盆前に佃で釣りをしていると「殺生するんじ…
昭和28年生まれの宮本英一さんが小学校高学年になった頃、とにかく月島を中心に周辺のエリアを駆け巡ったそうです。今では考えられないちょっと危険な遊びをたくさんしたというお話です。 (さらに…)…
(画像をクリックすると拡大されます) 昭和25、6年。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの祖父の会社、中立造船の仕事場。場所は豊洲。 …
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