長年にわたり地域のボランティア活動を続けてこられた鈴木さん(昭和4年生まれ)。現在(取材当時)でも月島第二小学校のOB会長や町会の副会長を務めていらっしゃいました。長く地域を見つめ続けてきた鈴木さんに、今のまちの状況について尋ねたところ、「想像もつかないような変化…
月島3丁目の路地の一角で「牛もつ元気」を営む大矢さん。創業は平成9年(取材時で23年)。店を始めたきっかけは友達にふるまった牛もつをほめられたこと。その変わらぬ味と大矢さんの人柄にひかれて、連日常連さんが通い、遠方からテレビや情報誌を見てやってくるお客さんがあとを…
「常連がいいお店を育てる」と言われることもありますが、「牛もつ元気」のお客さんにその魅力を訪ねると、味はもちろん、「常連さんの人柄の良さ」というフレーズが異口同音に飛び出します。あけっぴろげな地元の常連さんたちは、互いに思ったことをはっきり言いあうこともあるそうで…
「月島を出ようと思ったことは一度もない」「ほかでは暮らせない」という大矢さん。長屋の暮らしの中で当たり前にしみついてきた挨拶、声掛け、困った人がいたら助ける、といったつながりを大切にし、今も続けています。思ったことをストレートに口に出す性分は下町気質なのでしょうか…
大矢さんが月島3丁目の路地の一角で「牛もつ元気」を一人で初めて23年(取材時)。過去にお店の存続にかかわる出来事と言えば「狂牛病」。牛肉が一切世の中に出回らない時に、大矢さんは常連のアドバイスで「おでん」に切り替えて約3年営業し、窮地を乗り越えたそうです。その後も…
祭りのときはもちろん、日ごろから大人が子どもたちに声をかけていたという中島さんの幼少時代。「そういう地域性が、私を育ててくれた」。中島さんは今もお住いの地域で、子どもたちに声を掛け続けていると言います。今の時代、すべての地域にとって大切なメッセージです。祭りの時に…
月島1丁目栁田産業の奥には「現役の井戸」があります。栁田さん(昭和17年生まれ)は現在もその水を植木の水やり、打ち水、機械の洗浄などに使っています。戦時中は防火、消化のために月島でも井戸づくりが行われ、長屋と長屋の間には必ずと言っていいほど井戸があったそうです。 …
栁田さんは長年に渡り町会、民生・児童委員(代表会長も)、月島補導連絡会(会長も務める)など、地域のボランティア活動を続けてこられました。新しいマンションができると管理事務所で「うちには区にお世話になる人はいませんから結構です」と断られ、一方で、あれほど隣近所と親密…
埋め立て地である月島は、かつて月島第一小学校が最も高い建物だと言われていたそうです。その後、工場や銭湯がマンションに変わると同時に、建設技術が進化。八階建てができたら「すごいな」と言ってる間に、今は五十階。「もう全然考えられないですよね…」という言葉…
歌の得意な佐藤さんが、きれいな歌声を聴かせてくださいます。今もまちを歩きながら月二小の校歌を口ずさむと、通りがかりの子どもたちがびっくりすると言います。続けて昔の中央区歌を披露してくださいました。いつ頃までこの区歌が歌われていたのかは不明です。 […