昭和40年生まれの塚田さん(右)、43年生まれの志村さん(左)、お二人が小さい頃にもっとも人気があったスポーツといえば野球でしょう。昭和50年頃の月島は、まだ車の通行量も少なく、2人揃えば道路でキャッチボールをしていたそうです。 相手が見つからない時は、近所の…
「泥警」「警泥」警察役と泥棒役のかくれんぼ遊びです。今の子どもたちもやっていますね。表路地のみならず裏路地もあった当時の月島で繰り広げられたドロケイは、どんな様子だったのでしょうか? (さらに…)…
月島に子ども、兄弟・姉妹をもつ友達が多かった頃、下の子の面倒を見ながらみんなで仲良く遊んでいたというお話です。 (さらに…)…
当時は月島にもたくさんあったという駄菓子屋の記憶。所狭しと並べられていたお菓子やおもちゃ。特に「当たり付」のものには並々ならぬ集中力を発揮するのが子どもです。名人芸?を披露する塚田さん(右の方)と店のおじさんの表情が目に浮かびます。 (さらに……
粘土屋さん・粘土型屋さんについては、ネット上にもたくさんの証言があがっていることから、各地に出没?していたのでしょう。複雑な子ども心を、塚田さんの巧みな話術でお楽しみください。 (さらに…)…
月島人のソウルフード、もんじゃ焼き。昔は路地のあちこちに、子ども向けのもんじゃ焼きやたくさんあったそうです。ほかの下町とは異なる、月島ならではの事情も語られていて興味深いお話です。 (さらに…)…
子どもが多かった時代、お小遣いで買える食べ物を扱った屋台も多かったそうです。目一杯遊んで、お腹がすいたら、小銭を握りしめて屋台を探す。おでん、蜜パン、そして、屋台ではありませんが月島名物の「レバーフライ」に関する思い出です。 (さらに…)…
昭和52年(1977年)に当時晴海にあった国際展示場で開催された「サンスター・スーパーカー・コレクション’77」を塚田さんが見に行った時の話です。全国的なスーパーカーブームだった当時、憧れのスーパーカーを実際に見た興奮が伝わってきます。 (さらに…)…
インタビュー収録後の黒野さん(右)と志村先生。 昭和の時代はこうした光景があちこちで見られたのでしょうね(撮影:源) …
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