鉢植え・植木ものが所狭しと並ぶ路地、これが月島の代表的なイメージだと思う人も多いかと思いますが、宮本さんの幼少期、昭和30年代のはじめは、今ほど置かれていなかったそうです。このお話は近所の山本さんの家で咲いていたジンチョウゲ(沈丁花)にまつわるお話です。
☆お話しいただいた方のプロフィール
宮本英一さん
昭和28年(1953年)月島生まれ。長崎出身で石川島造船所に勤めていた祖父から数えて三代目。職業は公務員。
路地の「植木もの」の変化を知ることができる写真
上の2枚が戦後間もない昭和22年から23年頃に撮影された宮本家前の路地。
そして、次の写真が同じ路地で昭和31年8月7日、佃住吉神社大祭の日に撮影されたもの。宮本さんの記憶のとおり、昭和30年代初めのこの路地には、まだ植木ものはほとんど置かれていなかったことがわかります。同時に、上の戦後すぐの写真と比較することで、時代が落ち着きを取り戻し、月島の人々の心に植木ものを楽しむ余裕が出てきたことをうかがい知ることができます。
↑昭和31年8月7日におなじ路地で撮影されたもの。手前の男の子が英一さん。右が姉。
宮本家に今も元気に咲いているジンチョウゲ(沈丁花)