村田さんが営む「駿河屋酒店」は以前、西仲通りと渡船通りの交差点の角にありました。戦前は、渡船を利用して月島に働きに来る人たちが多く、現在よりも人の往来が激しかったそうです。 (さらに…)…
生きた魚・カエルを売る店のおじさん、パン工場の工場長、そして、渡船の船頭さんとのやりとり…好奇心旺盛な少年時代の記憶です。 (さらに…)…
村田さんが当時通っていた月島第一中学校は築地にあり、放課後、晴海(当時は四号地)へ野球の練習に行くためには勝鬨橋を渡らなくてはなりませんでした。急ぐ少年たちの目の前で、合図とともに橋が開き始めた!…橋の見張り役?のおじさんとのやりとりです。 (…
村田さんが小学校に入学した昭和16年は、軍事教育真っ盛りで、先生から殴られることも多かったそうです。あるとき先生に殴られて帰ったときのお父さんとの会話、そして、戦後、軍服を着た先生とのやりとりです。 (さらに…)…
冷蔵庫のない時代、暑い夏の時期は酒が傷みやすく、販売に大変苦労したそうです。利き酒の技術が酒屋に求められた時代のお話です。 (さらに…)…
昭和9年生まれの村田さんは、中学1年生頃からお店の手伝いをしていたそうです。仕事帰りに合成酒をあおるおじさんたちとのやりとりを軽妙な語り口で再現してくれました。 (さらに…)…
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