2020年の秋、佃島説教所が取り壊される直前、渡邉さんに解説していただいた大変貴重な動画です。かつては珠算大会や書初め大会なども行われた55畳の本堂、浄土真宗のお寺の様式を整えた祭壇、葬式の際に割烹着姿のおかみさんが動き回った台所…。太鼓、梵鐘、おり…
2020年の秋に取り壊された佃島説教所について渡邉さんに解説いただいた動画です。本動画では表に出て、立地や意匠について説明していただきました。佃大橋の完成(昭和39年)する以前、説教所のすぐ裏には佃川が流れていました。川沿いに建っていた頃の思い出も含めて語っていた…
2020年の秋に佃島説教所が取り壊される前に、小屋組みの写真を撮影させていただきました。その写真をもとに、渡邉さんと、芝浦工大・志村秀明先生が建築の分析をしている映像です。その外観から典型的な寺院建築かと思いきや、小屋組みは洋組のトラス構造でした。志村先生は、説教所が建設された昭和9年頃の他の…
1600年代の後半に、佃島の漁師が築地本願寺の再建に尽力したことは有名な話ですが、渡邉さんの御先祖を始め、当時の佃の人々の中には、自分の土地を売り払って金に換え、それを築地本願寺に寄進した方々が多くいらしたそうです。そして、その土地のほとんどがいまだに借地となっているそうです。先祖から伝わる大…
東京湾の漁師でその名を知らぬものはいなかったという網元・平熊。一般企業に勤めた渡邉さんは、会社の同僚から「佃の平熊の人間がうちの社員になるわけないんだから、佃で平熊だなんていっちゃ笑われるぞ」と忠告を受けたこともあったそうです。渡邉家の家系のエピソードは、ある日、…
網元として繁栄する一方、東京市が運営を始めるまで「佃の渡し」の渡し守もやっていたという渡邉家。「なのになんであんな粗末な家に住んでいたんだ? 何であんな貧乏してたんだ?」と母にただしたところ、返ってきた答えは、父が金科玉条のごとく守り通した「家なんて雨露さえしのげ…
単調なリズムの太鼓と哀愁を帯びた踊り歌に合わせ、足を引きずるような動きを右に左に繰り返しながら踊る、佃島の盆踊り。昔から渡邉家の身内が中心となって、歌い継いできた歴史があるそうです。そのルーツは、石山本願寺と織田信長の合戦に勝利した鈴木飛騨守が、負傷した足を引きず…
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