田中家の本家筋は網元として隆盛を誇っていましたが、寿子さんの祖父たち男兄弟は「放蕩しすぎるから」という理由で分家させられ、その後、祖父はコマセ問屋を始めました。今のように陸の交通網がない時代に、どのようにコマセ(アミジャコ)を各地に運んだのでしょう。また、コマセ問…
寿子さんの祖父、父とコマセ問屋を続けてきた田中家ですが、昭和20年代頃にコマセ(アミジャコ)そのものが捕れなくなったことから、海苔づくりやタタキと呼ばれる二艘の船による追い込み漁に移って行きました。タタキは男性のみで行われましたが、海苔の作業は寿子さんはじめ、女性…
田中家には、寿子さんの父が(おそらく大正時代に)福神丸を造った際に、記念に配ったという半纏が大切に残されています。そして祭りの夜、浅草などへ遊びに行く時に着た絽の着物に合わせた帯、これも百年以上の前のもので、その柄は「佃」の文字をモチーフとしたもので、現在の祭りの…
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