櫻木さんの子どもの頃の遊びの話です。子どもたちは上町(うわて)、下町、東町(むかいちょう)ごとに遊んでいたようです。佃の渡しから伸びる渡船場通りでは野球をやったり、時には東雲都橋の方まで歩いてハゼ釣りに出かけたこともあったようです。下町には漁師が多く、お盆前に佃で釣りをしていると「殺生するんじ…
昭和39年に佃大橋ができる前、そこには佃川が流れていました。そこにあった櫻木家の階段の話です。江戸時代からあるその階段は、房州などから船で運ばれてきた魚を荷揚げするためのものだったようです。櫻木家の日本橋魚河岸時代の鑑札は「荷主」と「仲買」、屋号は、日本橋魚河岸時…
佃の渡船場通りにある櫻木家は、戦後、駄菓子屋を営んでいた時期がありました。その当時(昭和22年頃)の貴重な写真には、縁台に座る櫻木さんや生き生きとした表情で遊ぶ少年たちの姿が映っています。櫻木家の向かいにはすでに駄菓子屋・山本商店がありました。櫻木家は主に生菓子や焼き芋を扱っていたそうです。 …
佃住吉神社の三年に一度の例大祭では、神輿を担いで隅田川に入る海中渡御が行われていました。昭和三十七年に行われた最後の海中渡御の写真には、初めて渡御に参加した櫻木さんの姿もあります。海中渡御の際には、あらかじめ隅田川の川底に砂袋を敷き詰めておいたそうです。動画の最後には現在の船上渡御の映像が入っ…
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