「ビデオ上映&講演・意見交換会」のお知らせ 活動を始めて3年目。2020年度の活動発表を兼ねた上映会&講演・意見交換会を開催します。 土地の記憶、長く暮らす方々の生活の記憶に触れることが、まちへの理解や愛着を深め、新たな交流を育み、未来のまちづくり・コミュニティづくり…
太平洋戦争末期、鈴木さん(昭和4年生まれ)の母校、月島第二小学校が野戦病院になっていたという記憶です。校舎が黒幕で覆われ、中は見えないようになっていたそうです。授業ができないため、疎開をしない・できない子どもたちは、寺小屋に通いました。寺小屋は勝どきに2つあった銭…
昭和30年前後の記憶でしょうか、友達と月島八丁目(現在の勝どき)から歩いて東雲に海水浴に行った思い出です。暑い夏、なけなしのお金で先にアイスキャンディを買って食べてしまい、帰りはへとへとだったこと、おいていた衣類が満ち潮でびしょ濡れになってしまい、帰りは裸でかえっ…
月島・西仲通り商店街に今も残る交番の裏手に、かつて映画館と芝居小屋がありました。昭和16年生まれの佐藤さんは幼い頃、かわいがってくれていた長屋のお姉さんにおぶられて、戦争映画を見た記憶があるようです。中学校になると、定期試験の終わった後は、母親が映画を見に行くこと…
昭和30年生まれの左さんの、小学生時代の遊びの記憶。 マルハとは大洋漁業のことです。黒野富太郎さんのお話にも出てきましたが、隅田川沿いに工場や製氷工場がありました。左さんたちはよくその建物内にも忍び込んでいたようですが、ある時、製氷室の中に閉じ込められてしまっ…
昭和14年生まれの宮本邦夫さんが、月島を歩きながら生活の記憶を語ってくださいました。 パート3は清澄通りからスタート。都電の話では、かつての路線番号をスラスラ覚えているのがさすがです。月島第一公園では、野球をしていたことがあったとか。隅には月島第一小学校の生徒…
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