祖父、父と三代続く理容師だった馬場さん。職業柄、いろんな世代のお客さんがやってきて、興味深い話をたくさん聴いたそうです。明治25年に築島された月島に、最初に入ってきた人の記憶や新興地として工業、造船業などが栄えた月島の様子がうかがえます。 (さら…
大正6年に月島周辺を襲った高潮は大変な被害があったそうです。昭和15年生まれの馬場さんが祖父から聴いたお話です。そして、伊勢湾台風後の造られた隅田川のカミソリ堤防について話してくださいました。先代、先々代の体験や記憶を聴く、できれば記録しておく、ということの大切さ…
馬場さんのインタビュー中に、一級下の高梨さんがたまたま通りかかり、インタビューに加わってくださいました。動画は、お二人のコメントをつないであります。 昭和15年生まれの馬場さんは昭和19年、縁故疎開で富山に引越しました。しかも、ご自宅も月島警察署に近かったため…
他の方々のオーラルヒストリーにもよく登場する朝潮運河。定かではありませんが平成の初めころまでは筏会社があり、運河にはたくさんの筏があったそうです。 昭和15年生まれの馬場さんが小学生の頃は、その筏置場が遊び場だったようです。馬場さんがその時代のことを話しています。 その後、事故もあり、…
馬場さん宅の前の通りは本芳寺があり、そのあたりからお盆のお供え物などを売る「草市」が始まったようです。昭和15年生まれの馬場さんの子ども時代の草市の記憶です。 動画の冒頭には、馬場さんの同級生である宮本邦夫さん(昭和14年生まれ)が本芳寺を紹介するシーンが入っ…
この動画には馬場さんと一級下のお友達である高梨さんが登場します。 昭和15年生まれの馬場さんが月島第一中学校2年生の頃(昭和28年)は、中学を卒業して働きに出る人も多かったそうです。しかも時代は就職難で、中学2年生が授業中に町に繰り出し、3年生のた…
馬場さんの戸籍には今も、「東京府東京市京橋区」という記載があるそうです。かつて月島は12丁目まであり、勝どきの交差点は「8丁目の交差点」と言っていたこと、「通り」「西(東)仲通り」「西(東)河岸通り」といった地名があった…というお話です。動画には昭和…
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