田中さんが小学校に上がる頃に近所にできた「三角公園」。そして、夏のラジオ体操と町内の水撒き。遊ぶのはいつも登校班の仲間でした。上級生のお兄さんお姉さんがさまざまな遊びを考案し、みんなで一緒になって遊ぶ。小さな弟や妹(おまめ)が泣き出したりお漏らしした時は、お兄さん…
田中さんの結婚式、「佃囃子」がハレの舞台を盛り上げてくれたという思い出と、佃には親戚同士の強い結びつきはもちろん、親戚のような深いお付き合いをしている家がどの家にもあった、というお話です。今では、お年始に、河岸の屋号の入った手ぬぐいをご近所に配って回るという光景も…
「『いるの?』と声がして、『いるよ』と答えた時には、もう茶の間に座っている」「雨が落ちてきて『雨降ってきたよ~』と声をかけるのは当たり前で、家の中まで入って行って洗濯物を取り込んだこともある」、さらには「火事があっても上がって行って、家財を全部運び出す」という、佃…
〝お年頃”になった田中さんがおつかいや銭湯に行くため佃小橋を通ると、「こっちが知らなくても、あっちは私のことを知っている」という老人たちから声を掛けられたり冷やかされた、というエピソードです。「漁師には潮目を見る習慣があった。その名残りだったのかもしれ…
トップページに戻る