田中家には、寿子さんの父が(おそらく大正時代に)福神丸を造った際に、記念に配ったという半纏が大切に残されています。そして祭りの夜、浅草などへ遊びに行く時に着た絽の着物に合わせた帯、これも百年以上の前のもので、その柄は「佃」の文字をモチーフとしたもので、現在の祭りの揃衣にも採用されているそうです。紫の子ども半纏は、娘・清美さんのためにあつらえたものです。歌舞伎や清元などに親しんだ佃の人々ならではの「粋」な世界が垣間見えます。
田中家には、寿子さんの父が(おそらく大正時代に)福神丸を造った際に、記念に配ったという半纏が大切に残されています。そして祭りの夜、浅草などへ遊びに行く時に着た絽の着物に合わせた帯、これも百年以上の前のもので、その柄は「佃」の文字をモチーフとしたもので、現在の祭りの揃衣にも採用されているそうです。紫の子ども半纏は、娘・清美さんのためにあつらえたものです。歌舞伎や清元などに親しんだ佃の人々ならではの「粋」な世界が垣間見えます。