太平洋戦争末期、鈴木さん(昭和4年生まれ)の母校、月島第二小学校が野戦病院になっていたという記憶です。校舎が黒幕で覆われ、中は見えないようになっていたそうです。授業ができないため、疎開をしない・できない子どもたちは、寺小屋に通いました。寺小屋は勝どきに2つあった銭湯や、清澄通り沿いにあった御旅所(現在はトランクルーム)の二階などが使われたそうです。現在もある小学校が野戦病院だったという話は校舎が建て替わったとはいえちょっと生々しいですが、鈴木さんは「ぜひこの出来事を後世に伝えてほしい」と公開することを希望されました。