この動画は、2020年2月15日に月島区民館で開催した「佃島・月島百景 上映会&講演・意見交換会」にて上映したものです(一部文字修正、写真追加)。
2019年度(令和元年度)は、「月島百景~第2集~」として、13名の方にインタビューを行い、それを約50分に編集しました。
他では見ること聴くことのできない貴重なエピソードや資料も盛り込まれています。ぜひご覧ください。
話し手の方々のプロフィール
保田 清さん
昭和8年佃(2丁目)生まれ。
佃島小学校卒業。佃にて(株)月島テレビ商会を起業したのち、西仲通り商店街に移転。当時の奮闘記が「月島テレビ物語」という映画にもなったという。月島二之部、西仲共栄会などの役員を歴任し、月島の発展のために尽力する。
[エピソード]*印は本動画に盛り込まれている内容です
特攻隊員だった兄が復員してきた時の話(昭和20年頃) 「月島テレビ」を起業した頃の話 *佃で開業し自ら組み立てたテレビを放映した時の賑わい(昭和30年頃) 千葉・愛知にテレビを届け放送が流れた時の話(昭和30年代) *この仕事を「天職」と感じた経験(昭和35-38年頃)など
黒野富太郎さん
昭和12年月島生まれ。月島第一小学校~月島第一中学校卒業。疎開以外は月島暮らし。中央区で浜町体育館の運動指導員、現在、文化財サポーターとして活躍中。
[エピソード]*印は本動画に盛り込まれている内容です
*隅田川 大洋漁業 大型船船員の釣り練習 製氷工場の想い出(昭和23-25年頃) *月島川から船で釣りに出掛けたが…(昭和25年頃)*朝潮運河でゴカイを捕る(同) 月一中ができる前は芋畑だった(昭和20年代前半) など
宮本邦夫さん
昭和14年明石町生まれ。昭和19年に両親の出身地である長崎に疎開。小学校を卒業後、昭和27年に月島に戻り、以後、月島および佃に暮らす。職業は経営コンサルタント。ピーター・ドラッカーの愛弟子であり、自身も100人を超える弟子を持つ。
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(昭和19年)長崎への疎開 *西仲通り 夜店 食料不足(釣り・潮干狩り)配給(昭和27年頃)*米軍に接収されていた頃 1軒に数家族が暮らしていた 遊び *路地の風景 *隅田川で泳いだ (昭和30年以降)街頭テレビ 中学卒業後に月島機械に勤めながら夜学に通った頃 など
馬場吉昭さん
昭和15年月島生まれ。月島第一小学校~月島第一中学校卒業。職業は理容師。祖父の代から数えて三代目。町の移り変わりを眺めてきた。
[エピソード]*印は本動画に盛り込まれている内容です
強制疎開で取り壊された家 子どもが多かった小中学校時代 上級生の就職先をお願いして回った中学時代(昭和28年頃) *月島の産業 *草市(昭和2~30年代) 月島周辺の映画館 都電・勝鬨橋など交通事情(昭和30年代前半) *以前の住居表示・町名(~昭和40年頃まで) など
高梨昌久さん
昭和15年月島生まれ。月島第一小学校~月島第一中学校卒業。馬場吉昭さん、宮本邦夫さんの一つ下の後輩。
東芝勤務。テレビ産業が好景気の時代に従事。現在はバードウォッチングなど趣味多数。
[エピソード]*印は本動画に盛り込まれている内容です
*築地市場で食べ物を…(昭和21年頃) *急いでいるときに勝鬨橋が上がる(昭和30年代前半)
中澤孝子さん
昭和14年生まれ。中学生の頃、勝どきに転居。結婚後、月島で40年間、筏師(東港運輸)だったご主人を支え、共に歩む。ご主人は昭和37年筏乗り全国大会(清水大会)一本乗りの部に東京代表として活躍。
現在、晴海在住。
[エピソード]*印は本動画に盛り込まれている内容です
*筏師だったご主人の想い出 *伊勢湾台風の被災地を支援した話 など
大山隆三さん
昭和26年月島生まれ。月島第二小学校、月島第二中学校卒業。祖父の代から数えて月島で三代目。職業は元寿司職人。
父は月島警察署の警察官。人情味のある人柄は多くの人に慕われた。
[エピソード]*印は本動画に盛り込まれている内容です
*生まれ育った月島12丁目の駐在所 *人情味溢れる父のエピソード
*水上生活者の同級生(昭和40年頃まで) 母の思い出
子どもの頃の遊び 「月四・月島フライヤーズ」野球練習後の反省会
自転車で遠乗り 勝鬨橋 (主に昭和40年頃までのお話) など
楠 香一さん
昭和28年生まれ。月島第一小学校卒業。趣味のお履物「あずまや」四代目店主。現在中央区内に残る履物店四店のうち一店として頑張っている。先祖は築島と同時に月島にやってきて住み始めた。
[エピソード]*印は本動画に盛り込まれている内容です
*路地での遊び・駄菓子屋のばあさん *月一小の映画大会 *月島川 わたし公園(泥だんご) 東雲・晴海での遊び(オオト、スズメのヒナ)
都電で日比谷公園に行きセミ捕り 東映の映画館 (主に昭和40年頃までのお話) 履き物屋の話 など
左久作さん
昭和30年月島生まれ。月島第一小学校卒業。日本で唯一の江戸鍛冶。祖父・父を継いで三代目左久作となるが、江戸鍛冶としての血筋をたどると江戸時代初期にまで遡る。大工・木工職人等からのオーダーメイドで274種類の刃物を作る。包丁・刀など人を殺傷する刃物は一切作らない(包丁研ぎは承ります)。
[エピソード]*印は本動画に盛り込まれている内容です
国際見本市の思い出 *大洋漁業(マルハ)周辺での遊び(昭和30年代後半)*草市(昭和3~40年代)の興奮 *月島に鍛冶屋がいた頃 *商店街での買い物 立飲み屋・路地の夕方の風情 清澄通りから見えた富士山 江戸鍛冶について など
荷出恵子さん
昭和34年月島生まれ。月島第三小学校~中央区立第三中学校(佃中、晴海中の母体校)卒業。
月島で洋服の仕立業を営む両親のもと兄姉と共に「狭いながらも楽しい」長屋で育つ。元小学校教員。
[エピソード]*印は本動画に盛り込まれている内容です
*子供の頃の暮らしぶり *商店街での買い物 *商店、銭湯の思い出 朝潮運河(筏、昭和初期 泳いでいた頃の話) 洋服の仕立てをしていた父のこと 無尽 *西仲の盆踊り大会 祭りを楽しむ女性 など
塚田晶子さん
昭和37年月島生まれ。月島第一小学校~中央区立第三中学校卒業。月島2丁目で、長屋を自ら改装した糀(こうじ)カフェ「元氣喫茶」を営み、地元の人々に憩いとコミュニケーションの場を提供している。
[エピソード]*印は本動画に盛り込まれている内容です
*改装中の苦労と楽しみ
お客さんとの会話 など