現在も月島1丁目で栁田産業(配管用継手販売、作業工具製造販売)を営む栁田莊二さん。住宅兼工場のある建物は昭和9年の建築。
もともと鍛冶屋をやっていた祖父が千葉から月島(西仲通り)に移ってきたのが大正7年頃。その後、関東大震災で当時住んでいた長屋は壊滅的被害を受けたため、現在の月島1丁目に移ったそうです。深川に構えていた工場はやがて戦争の色が濃くなるにつれ日立製作所の協力工場となり、昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失。残った機械で使えるものは日立製作所に、残りは自宅に運び、修理して使い始めた、という経緯を語ってくださいました。