昭和8年生まれの保田さんの一回り年上の兄(長兄)の記憶です。その兄が昭和20年に特攻隊員として佃を離れる時の感動的なエピソードに始まり、終戦後に帰還してすぐGHQの通訳として働き始めた時の周囲の反応、そして、保田さんが「人というのは食べ物に弱いものだ」と強く実感したというエピソードが語られています。
当時の貴重な写真もご覧いただけます。
保田 清さん
昭和8年佃(2丁目)生まれ。
佃島小学校卒業。佃にて(株)月島テレビ商会を起業したのち、西仲通り商店街に移転。当時の奮闘記が「月島テレビ物語」という映画にもなったという。
月島二之部、西仲共栄会などの役員を歴任し、月島の発展のために尽力する。