太平洋戦争が始まった年に五年制中学に入学し、終戦の年に卒業したという鈴木さん(昭和4年生まれ)。食糧不足、空襲警報、学徒動員で中学一年の後半から軍需工場で働く毎日。戦地に行かない若者は「非国民」呼ばわりされ、皆、陸軍か海軍の関連学校を受験したり、中には志願して戦死した友達もいたようです。そんな日々の中で唯一落ち着けるのは銭湯。「お風呂屋さんで三十分ぐらい、ほーっと息をつく」という鈴木さんの語り口に、当時の大変さや不安な気持ちがしのばれます。特殊警察に監視されるなかで、配給の列に並び食料や日用品を手に入れた時にちょっとした安心感を得ていたと語ります。