後ろのポスターに写っているのがお父さん。サンリオのポスターに起用されたそうです。
月島(朝潮運河)にあった筏会社で働き、野村さんの記憶では主に船(ポンポン船)の操縦をしていたとのこと。
店(亀とき)を、時栄さんが小学生の頃に一度オープンし、その後一旦閉めたのち、筏会社を定年退職したのをきっかけに再オープン。それから家族で営んできました。
お父さんは定年退職後も、アルバイトで屋形船の船長を引き受けて、そういう時は野村さんがお母さんを手伝ってお店を切り盛りしていたそうです。
その頃のお父さんの楽しみに関するエピソードです。