鈴木さんが月島第二小学校の六年生のとき、昭和15年に勝鬨橋が開通しました。学校の前へ出て日の丸を振り、橋があがったところに傷痍軍人が乗った真っ白い船が隅田川を通っていったそうです。今から80年以上前の出来事を鮮明に覚えておられ、それを記録できる貴重なインタビューでした。
その後、時代の流れのなかで勝鬨橋は開かなくなりましたが、地元の鈴木さんたちは勝鬨橋を上げる運動を起こし10年くらい活動したそうです。
鈴木さんが月島第二小学校の六年生のとき、昭和15年に勝鬨橋が開通しました。学校の前へ出て日の丸を振り、橋があがったところに傷痍軍人が乗った真っ白い船が隅田川を通っていったそうです。今から80年以上前の出来事を鮮明に覚えておられ、それを記録できる貴重なインタビューでした。
その後、時代の流れのなかで勝鬨橋は開かなくなりましたが、地元の鈴木さんたちは勝鬨橋を上げる運動を起こし10年くらい活動したそうです。