昭和4年生まれの鈴木さんの貴重なエピソード。現在の豊海付近には遠浅の海岸があり、アサリ、ハマグリ、シオフキといった貝類がたくさんとれた。夏になると新聞社が経営する海水浴場がにぎわったといいます。
原っぱばかりだった晴海には「どでかい陸軍病院」がありました。これは昭和13年に建設された万国博覧会事務局棟が「東京第一陸軍病院月島分院」に転用されたもので、建物は空襲により焼失したと「中央区沿革図集月島編」に書かれています。
昭和4年生まれの鈴木さんの貴重なエピソード。現在の豊海付近には遠浅の海岸があり、アサリ、ハマグリ、シオフキといった貝類がたくさんとれた。夏になると新聞社が経営する海水浴場がにぎわったといいます。
原っぱばかりだった晴海には「どでかい陸軍病院」がありました。これは昭和13年に建設された万国博覧会事務局棟が「東京第一陸軍病院月島分院」に転用されたもので、建物は空襲により焼失したと「中央区沿革図集月島編」に書かれています。