昭和4年生まれの鈴木さんが子どもの頃の貴重なお話です。川沿いの倉庫街では壁にボールをぶつけたり、トロッコで遊んだり。橋の下では釣りをしたりちょっと危険な遊びをしたり。学校の先生が当時はよく巡回をしていたという話もあります。そして、車がほとんど走っていなかった時代、子どもたちは清澄通りで三角ベース(野球の一種)を楽しみ、いい場面だと車に待ってもらっていた、といいます。冬は炭が入っていた俵を清澄通りで燃やし、暖をとったり焼き芋を食べたり。戦前の月島(勝どき)の、今ではとても考えられないエピソードの数々です。