月島1丁目の伊勢喜酒店のご主人、昭和10年生まれの稲垣さんは、一旦、埼玉の秩父に集団疎開しましたが、病気で昭和19年に一旦東京に戻りました。その時に目にしたのは、向島方面の空襲、焼け野原になった東京駅周辺でした。そのまま父親の故郷である愛知県西尾に疎開しましたが、翌年の1月に三河大地震があり大変な被害があったようです。その後は、わら小屋で生活し終戦を迎えましたが、非常に貧しい生活が続き、雨が降ってもカッパを買ってもらえず、ゴザを折りたたんで傘代わりにして学校に通ったといいます。動画ではにこやかにお話になっていますが、筆舌に尽くしがたいご苦労があったことが端々から感じられるエピソードです。
稲垣さん一家は昭和26年、稲垣さんが高校二年生の時に月島に戻り、酒屋を始めることになります。