中澤さんのご主人・英吉さんは「東港運輸」という筏会社に勤めていた筏師。動画では、以前お隣さんで半世紀にわたるお付き合いのある荷出さんと一緒に思い出を語ってくださいました。
年代は定かではありませんが、東京湾を渡って木更津に木材を届ける時は、波に飲まれそうになり「死にはぐった(死にそうになった)」こともあったとか。
昭和34年の伊勢湾台風では堤防が決壊し、貯木場の木材・筏が住宅地に流れ込み、大変な被害が出ました。それを集材するために、全国から筏師に応援要請があり英吉さんも参加したそうです。
(下記、参考をご覧ください)
水の上で巨大な材木を扱い、天候にも左右される仕事で、「根性がないと続けられない」というのもうなずけます。
[参考]
伊勢湾台風流木集材 記録写真集(名古屋港木材倉庫株式会社 刊)
ここに中澤さんの夫・英吉さんが勤めていた東港運輸株式会社、そして、語り手のNさんの父が勤めていた株式会社豊組の名前があります。
当時の被害状況はもちろん、「かけつけてくれた筏応援隊」など復旧に向けての作業風景の貴重な写真が掲載されています。
中澤英吉さん(左)