昭和8年生まれの保田さんは、当初、NHKに就職しましたが、すぐにストレスのため体調を崩し、ドクターストップがかかり、やむなく退社。
その後、快復した保田さんがやりたいと思ったのは商売。しかし、父親代わりの叔父は、性格的に無理だ、となかなか認めてくれません。
それを認める条件として提示されたのがこの話です。その後、いったん佃島に店舗を構えましたが、「商売をやるなら商店街の中心で」ということで、多額の借金をして西仲通り商店街に出店したそうです。
保田 清さん
昭和8年佃(2丁目)生まれ。
佃島小学校卒業。佃にて(株)月島テレビ商会を起業したのち、西仲通り商店街に移転。当時の奮闘記が「月島テレビ物語」という映画にもなったという。
月島二之部、西仲共栄会などの役員を歴任し、月島の発展のために尽力する。