網元として繁栄する一方、東京市が運営を始めるまで「佃の渡し」の渡し守もやっていたという渡邉家。「なのになんであんな粗末な家に住んでいたんだ? 何であんな貧乏してたんだ?」と母にただしたところ、返ってきた答えは、父が金科玉条のごとく守り通した「家なんて雨露さえしのげりゃいいんだ。いざとなったら船の一艘や二艘、即座に買ったり造ったりする金を持ってなきゃいけないんだ」という信念。そして、そのお金の行方は…。渡邉さんの祖父や父の、豪快なエピソードの数々です。
網元として繁栄する一方、東京市が運営を始めるまで「佃の渡し」の渡し守もやっていたという渡邉家。「なのになんであんな粗末な家に住んでいたんだ? 何であんな貧乏してたんだ?」と母にただしたところ、返ってきた答えは、父が金科玉条のごとく守り通した「家なんて雨露さえしのげりゃいいんだ。いざとなったら船の一艘や二艘、即座に買ったり造ったりする金を持ってなきゃいけないんだ」という信念。そして、そのお金の行方は…。渡邉さんの祖父や父の、豪快なエピソードの数々です。