宮本邦夫さんが長崎に疎開する前の昭和19年、そして、小学校を卒業して月島に戻り、月島第一中学校に通っていた昭和27年頃、そして、昭和30年代の時代の変化、生活の変化を話してくれました。
戦中は魚を釣っておかずにし、配給の列に並ぶ日々。昭和27年に戻ってきた時の月島の印象は、空襲を受けていないためほとんど変わらない、しかし、引揚者が多く、長屋の一軒に3家族で暮らしていたことも。時代が変わり始めた昭和30年頃は街頭テレビのプロレスと野球中継に夢中。当時は日テレの街頭テレビが月島第二公園にあったそうです。
宮本邦夫さん
昭和14年明石町生まれ。昭和19年に両親の出身地である長崎に疎開。小学校を卒業後、昭和27年に月島に戻り、以後、月島および佃に暮らす。職業は経営コンサルタント。ピーター・ドラッカーの愛弟子であり、自身も100人を超える弟子を持つ。