昭和14年生まれの宮本邦夫さんが、月島を歩きながら生活の記憶を語ってくださいました。
パート3は清澄通りからスタート。都電の話では、かつての路線番号をスラスラ覚えているのがさすがです。月島第一公園では、野球をしていたことがあったとか。隅には月島第一小学校の生徒が授業で泳ぐプールがありました。
最後は朝潮運河にかかる朝潮橋。宮本さんが子どもの頃は木の橋だったそうです。今の晴海総合高校のあたり(旧月島第三小学校)は戦後、米軍に接収されていました。朝潮橋の辺りには米軍相手の飲み屋さんもあったそうです。
宮本邦夫さん
昭和14年明石町生まれ。昭和19年に両親の出身地である長崎に疎開。小学校を卒業後、昭和27年に月島に戻り、以後、月島および佃に暮らす。職業は経営コンサルタント。ピーター・ドラッカーの愛弟子であり、自身も100人を超える弟子を持つ。