昭和8年生まれの保田さんが月島テレビ商会を起業して、ちょっと経ってから、この仕事が天職だと思った出来事がありました。
当時、集団就職で東京に働きに出てきた若い女性の楽しみは、寮にあるテレビ。それが壊れると皆ホームシックにかかり「帰りたい」というから、修理してほしいという依頼が保田さんに舞い込んだ、そのときの話です。
当時のテレビは壊れやすかったようですし、保田さんのような技術を持った人はまだ少なく、とても重宝がられたことが、先々で出される豪華なお弁当の話からも伺えます。
保田 清さん
昭和8年佃(2丁目)生まれ。
佃島小学校卒業。佃にて(株)月島テレビ商会を起業したのち、西仲通り商店街に移転。当時の奮闘記が「月島テレビ物語」という映画にもなったという。
月島二之部、西仲共栄会などの役員を歴任し、月島の発展のために尽力する。