昭和34年に開場、平成8年に閉場した晴海国際見本市会場にまつわる2つの楽しみ。昭和30年生まれの左さんが小学校3年生から6年生くらいの思い出です。 見本市が開かれていないときは誰もいない空間。そこは子ども(悪ガキ)たちの格好の遊び場でもあったようです。 後…
毎年7月のお盆に西仲通り商店街で行われている草市ですが、もともとはお盆のお供え物を売り買いするために、左さん宅そばの本芳寺前から始まったと言われています。 昭和30年生まれの左さんの記憶は、小学校から中学時代のもの。その頃はまだ清澄通りから西仲通り商店街までの…
昭和30年生まれの左さんが子どもの頃の、月島の夕暮れ時の風景。昭和30年代後半から昭和40年代の記憶でしょうか。路地のあちこちで、テーブル代わりになるものを囲み、つまみ片手にちょいと一杯やりながら談笑する大人。そのつまみ目当てに手を伸ばす子どもたち。大人も子どもも…
お腹の中にいるときから鍛冶屋の音をきいて育った三代目左久作さん。 江戸時代(1650年頃)から続く鍛冶職人の血筋だけに「鍛冶屋の音は、遺伝子に組み込まれている」。 長男として生まれた左さんは、当然、跡を継ぐものだと思って育ちましたが、名工とうたわれた先代(…
左さんがこの仕事に入った頃、師匠である父からきつく言われたことが、師匠が「白いカラスがいるね」と言ったら「はい、そうですね」と言えること。未熟なうちに師匠に意見することは許されない、という厳しい掟のようなものでしょうか。 一方で、父に「失敗だ」と言われたものを…
インタビュー前に左久作さんが鋼づけという作業を見せてくださいました。我々には鉄クズ置場のようにしか見えない(失礼しました!)ですが そこにはとても古い時代の和鉄が転がっています。 真っ赤に焼けた鉄は、目視だけで温度を判断。しかし、凝視すると目がやられてしま…
左さんによると、地名がつく鍛冶職人は「京鍛冶」「江戸鍛冶」だけ。今ではそのほとんどが絶えてしまっているそうです。 江戸鍛冶の定義は何かとお聞きしたところ、ひとつは「多品種少生産であること」。左さんはなんと274種類の刃物(主に大工・木工職人の道具)に対応できる…
左さんが使っている道具について、いくつか説明してくださいました。 画面向かって右に映っている、いかにも年季の入った大きな機械の名前は「スプリング・ハンマー」。先代の頃から使われていて、これより新しいものが博物館に展示してあるそうです。 そのほか、鉄を挟む道…
鍛冶屋の世界では"技は盗むもの"。江戸鍛冶である三代目左久作さんが先代である父から教わったものは、大師匠であり曾祖父でもある三代目左久弘さんが考案した、鉄と鋼をくっつける"くすり"の配合でした。 また、左さんはまだ先代を…
江戸鍛冶・三代目左久作さんのもとには、全国、世界で活躍する職人からさまざまな依頼が舞い込みます。中には古い道具を復元してほしいという依頼もあるようです。その時に、どのように判断しながら復元していくのか?お話いただいた一部をまとめました。 後半は、鍛冶屋ならでは…