左さんは、大師匠である左久弘派、そして、祖父(初代)・父(二代目)である左久作派の流れを受け継いだ江戸鍛冶。 主に大工や木工職人のために刃物を作っていますが、その対応の幅の広さがわかるお話です。 その道具を使う人たちが一流であれば、当然求められる品質も高く…
中澤孝子さんの中学生の頃の光景。50年来のお付き合いがある荷出さんと一緒に、歩きながらの会話です。 ご両親を早く亡くし、お兄さん夫婦に育てられた中澤さんは中学生の頃に勝どきに暮らし始めました。 今、大きなマンションが立ち並んでいる場所には2階建ての小さな家…
中澤さんのご主人は「東港運輸」という筏会社に勤めていた筏師。動画では、以前お隣さんだった荷出さんと晴海トリトンスクエア横の遊歩道を歩きながら、かつての朝潮運河の様子を語ってくれています。 ご主人は平成4年頃に退職し、その頃はまだ筏が多くあったということです。 …
中澤さんが、筏会社で働いていた夫の仕事のことについて語っています。 夫の英吉さん(昭和7年生まれ)は栃木から出てきて、最初はおじの経営する神奈川の木材会社に勤めてから、月島にあった東港運輸株式会社にうつったようです。(平成4年に定年退職) 英吉さんはサラシに半纏を羽織って仕事をしていた時期があっ…
中澤さんのご主人・英吉さんは「東港運輸」という筏会社に勤めていた筏師。動画では、以前お隣さんで半世紀にわたるお付き合いのある荷出さんと一緒に思い出を語ってくださいました。 年代は定かではありませんが、東京湾を渡って木更津に木材を届ける時は、波に飲まれそうになり「死にはぐった(死…
夫が筏会社で働いていた中澤さん。このエピソードの年代は定かではありませんが、川で仕事をしている人たちに、船でうどんを出前してくれる店があったそうです。このお店は陸にも店を構えていたそうです。陸にあったお店で調理したものを届けたのか、船上で調理して提供していたのかは…
大山隆三さん(昭和26年生まれ)の生活の記憶。 沖縄から上京してきた大山さんのお父さん(大正7年生まれ)は、志願して陸軍に入り、やがて二・二六事件に巻き込まれます。その後、月島警察署勤務の警察官となり、当時、月島12丁目にできた臨港駐在所に配属されました。 …
大山隆三さん(昭和26年生まれ)が生まれ育った臨港駐在所(当時の月島12丁目、現在の勝どき5丁目/6丁目あたり)。その近くに倉庫があり、そこを改造して多くの引揚者が暮らしていたようです。そんな人々を駐在所配属の警察官だった大山さんのお父さんはいつも思いやっていたと…
月島警察署所属の警察官だった大山さんのお父さんの人情味あふれるエピソードをまとめました。 1つ目は、ある丁稚が旦那さんからタバコを頼まれたのにタバコ店が閉まっていて困っていた時のやりとり。2つ目は、交通違反でタクシー運転手を捕まえたものの、それで免許取り消しに…
昭和26年生まれの大山さんの勝鬨橋にまつわる思い出です。「開くのが当たり前」だったいう子どもの頃。昭和35年頃から次第に開かなくなってきたという馬場吉昭さんの記憶がありますから、このエピソードは昭和30年代前半頃でしょうか。 橋が開いた時に巻き起こる土煙、開き…