町会をはじめ、地域活動に長年に渡り携わってきた鈴木さん。これまでに盆踊り大会、釣り大会、歌謡ショーなど数々の地域イベントも行ってきたそうです。 中でも平成9年から11年間続けた阿波踊り大会は、佃中学の校庭からスタートし、西仲通り商店街、黎明橋を経て、トリトンス…
かつては清澄通りの月島橋のたもとにあった消防署(京橋消防署月島出張所)。そこに勤務する消防署員だった大矢さんの父は、非番の日には下駄職人として知られていたそうです。下駄の歯継ぎが得意で、できあがった品物をお得意さんのところに届けるのは、(女性ばかり!)7人姉妹のう…
月島1丁目の伊勢喜酒店のご主人、昭和10年生まれの稲垣さんは、一旦、埼玉の秩父に集団疎開しましたが、病気で昭和19年に一旦東京に戻りました。その時に目にしたのは、向島方面の空襲、焼け野原になった東京駅周辺でした。そのまま父親の故郷である愛知県西尾に疎開しましたが、…
月島1丁目の伊勢喜酒店のご主人、稲垣さんの父が月島に店を構えたのが昭和8年。軍隊を除隊後、伯父が勤めていた「伊勢もと」に入り、それから独立されたようです。高輪、品川なども候補に挙がっていましたが、「高輪は偉い人ばっかりで高いものしか売れない。品川は当時、色街で、売…
昭和26年に疎開先の愛知県から月島に戻ってきた稲垣家。稲垣さんは当時高校二年生でした。静かな田舎と比べ、清澄通り沿い暮らしは「都電がうるさく、勉強できない」というギャップがあり、押し入れの中で勉強をしていたそうです。一方で家業の手伝いも忙しくなりました。昭和27年…
月島は、戦後、警察署、消防署、学校などの公的機関の引越しが多い土地です。稲垣さんは地図を示しながら、消防署や警察が移転した場所や理由をお話してくださいました。晴海にあった飛行場、開発が進み倉庫や貨物船が停泊していたエリアなどについても触れています。 伊勢喜酒店…
大洋漁業との取引があった伊勢喜酒店(月島1丁目)。ご主人の稲垣さんが、当時、遠洋漁業の船に大量の酒類などを納品する苦労を語ってくださいました。船の廊下はとても狭く、重い酒瓶を納入するのは骨が折れたそうで、仕事を手伝う奥様に初めて「(着物ではなく)洋服着ろ、ズボン履…
月島1丁目の伊勢喜酒店のご主人、稲垣さんは消防団を40年、少年補導を約50年、防犯協会を約20年など、長期にわたり社会奉仕活動、地域貢献を続けてこられました。そのきっかけになったのは、当時お隣に住んでいた町会長から言われた「月島で商売するのなら地元に奉仕してくれ」…
月島八丁目(現在の勝どき)で生まれ育った佐藤さんの、幼い頃の戦争にまつわる記憶です。疎開先のこと、父が掘った防空壕に隠れたこと、戦後しばらくたってから日比谷公園のプールに遊びに行ったときに見た銀座・松屋の焼けた外壁のこと、そして、深川の小学生が空襲で大勢亡くなった…
月島八丁目(現在の勝どき)に生まれ育った佐藤さんの記憶です。サムネイルの地図は、昭和20年代の勝どきを思い出して佐藤さんが描いたものです。動画は八丁目の交差点、現在の勝どき駅前交差点からスタートし、晴海通りを勝鬨橋方面に歩きます。「勝どきサンスクェア」の再開発前には晴海通り沿いに商店が軒を連ね…