昭和14年生まれの宮本邦夫さんが、月島を歩きながら生活の記憶を語ってくださいました。 パート3は清澄通りからスタート。都電の話では、かつての路線番号をスラスラ覚えているのがさすがです。月島第一公園では、野球をしていたことがあったとか。隅には月島第一小学校の生徒が授業で泳ぐプール…
昭和14年生まれの宮本邦夫さんの記憶。戦後、晴海を接収していた米軍が撤収したあと、昭和34年に開場したのが晴海国際見本市会場。冬はスケートリンクになっていたそうです。娯楽がまだ少なかった時代、宮本さんも何度も足を運んでスケートを楽しんだそうです。 …
昭和12年生まれの黒野富太郎さんは、小学校高学年から中学生の頃、近所に住むおじいさんとよく釣りに行っていました。釣り餌であるゴカイを朝潮運河で捕ったときの記憶です。 (さらに…)…
昭和12年生まれの黒野富太郎さんの記憶。現在、晴海総合高校がある場所には、かつて月島第一中学校がありました。それができる以前、戦中戦後の食糧難の時代に、黒野さんたちはそこで芋を育てていたそうです。 (さらに…)…
昭和52年(1977年)に当時晴海にあった国際展示場で開催された「サンスター・スーパーカー・コレクション’77」を塚田さんが見に行った時の話です。全国的なスーパーカーブームだった当時、憧れのスーパーカーを実際に見た興奮が伝わってきます。 (さらに…)…
昭和28年生まれの宮本英一さんが小学校高学年になった頃、とにかく月島を中心に周辺のエリアを駆け巡ったそうです。今では考えられないちょっと危険な遊びをたくさんしたというお話です。 (さらに…)…
(撮影:宮本) …