昭和26年生まれの大山さんが小学生の頃の遊び。 月島川沿いにあった倉庫などから角材を持ち出して"家"を作ったり、倉庫に囲まれた道路で三角ベース(野球)をしたり…。今ではかなり問題となる行為もありますが…(笑)。 …
昭和26年生まれの大山さんが中学生の頃に熱中した野球チームの話です。 当時は、卒業した学校の在校生・OBや、地域、会社・商店などが作った少年野球チーム(選手は18歳以下、指導は大人)が月島にも十数チームあったようです。大山さんが所属していたのは「月島フライヤー…
動画のサムネイルは昭和26年生まれの大山さんが中学2年の時。8段変速の自転車にまたがり、野球チームの先輩や友達と、遠く箱根や長瀞までサイクリングに行っていたという思い出です。野球をやっていたとはいえ、すごい体力ですね。 (さらに…)…
昭和50年代と思われる大山家の玄関先の写真を見ながら、当時を振り返っていただきました。 小説や映画などの題材にもなるこのエリアですが、大山さんのお宅や家の前の路地も同様で、三國連太郎や川野太郎といった有名俳優が出演するドラマや映画で使われたそうです。 後半…
かつてのコミュニティの様子がわかる2つのエピソードです。 前半は、お隣さんからいい匂いが漂ってきて、おすそ分けを期待する?家族のほほえましい会話、後半は、近所の床屋さんから聞いた町会の年末の餅つきの時のお話です。昭和50年代のようです。 以前、大山さんのお…
大山さんのお母さん(大正8年生まれ)は宮城県白石の出身で、子どもの時に月島に移り、月島第一小学校に通ったそうです。 お母さんもお父さんに勝るとも劣らないほどの人情味があり、地域の人からも慕われていたそうです。 買った馬券が当たったのに「みんなで飲みなさい」…
大正7年生まれの大山さんのお父さんは、最愛の奥様に先立たれ寂しい思いをされたことかと思いますが、大山さん一家をはじめ、ご家族に寄り添われながら98歳まで生きられたそうです。 この動画では、志願して陸軍に入隊し二・二六事件に巻き込まれた18歳頃のエピソード、 …
昭和28年生まれで履物店「あづまや」の四代目店主・楠さんが家業を継いだのは二十歳頃。父の早逝がきっかけになったそうです。「子どもの頃からそばで見ていたから教えられなくてもできた」そうです。 動画の後半には、当活動の代表・宮本が買い求めた草履に鼻緒をすげる作業を…
履物「あづまや」の四代目店主・楠さん(昭和28年生まれ)のお父さんは、もちろん三代目ということになりますが、趣味が高じて、東雲に釣具屋・釣船屋も営んでいました。月島の人も東雲まで足を運んで、主にハゼ釣りを楽しんだそうです。 (さらに&hellip…
西仲通り商店街の三番街と四番街の境目の交差点にある履物店「あづまや」の四代目店主・楠香一さん(昭和28年生まれ)の小学生の頃の記憶です。お店から一本、月島川寄りの路地には手焼きのおせんべい屋さん、アイスキャンディ屋さん、そして、もんじゃを食べられる駄菓子屋さんがあ…