昭和52年(1977年)に当時晴海にあった国際展示場で開催された「サンスター・スーパーカー・コレクション’77」を塚田さんが見に行った時の話です。全国的なスーパーカーブームだった当時、憧れのスーパーカーを実際に見た興奮が伝わってきます。 (さらに…)…
村田さんが営む「駿河屋酒店」は以前、西仲通りと渡船通りの交差点の角にありました。戦前は、渡船を利用して月島に働きに来る人たちが多く、現在よりも人の往来が激しかったそうです。 (さらに…)…
生きた魚・カエルを売る店のおじさん、パン工場の工場長、そして、渡船の船頭さんとのやりとり…好奇心旺盛な少年時代の記憶です。 (さらに…)…
昭和7年生まれの寺本さんは自宅で産婆さんに取り上げられました。当時は産婆さんが月島のあちこちにいたそうです。 (さらに…)…
寺本さんが営む陶器店「かね重」は西仲通り商店街にありますが、戦前は別の場所にありました。当時、その周辺には、商店や飲食店が並び、ちょっとした繁華街だったそうです。今では見かけなくなった商売、当時の月島ならではの商店もあり、時代を感じられる貴重な記憶です。 (…
昭和7年生まれの寺本さんが物心ついた頃、昭和10年代の長屋と路地の生活景。月島ならではの住宅事情、路地のあちこちににぎやかな声が響き渡っている様子が思い浮かぶお話です。 (さらに…)…
村田さんが小学校に入学した昭和16年は、軍事教育真っ盛りで、先生から殴られることも多かったそうです。あるとき先生に殴られて帰ったときのお父さんとの会話、そして、戦後、軍服を着た先生とのやりとりです。 (さらに…)…
冷蔵庫のない時代、暑い夏の時期は酒が傷みやすく、販売に大変苦労したそうです。利き酒の技術が酒屋に求められた時代のお話です。 (さらに…)…
戦前、西仲通りには夜店がならび、大勢の人でにぎわったそうです。昭和7年生まれの寺本さんがまだ幼かった頃の記憶を語ります。 (さらに…)…
昭和9年生まれの村田さんは、中学1年生頃からお店の手伝いをしていたそうです。仕事帰りに合成酒をあおるおじさんたちとのやりとりを軽妙な語り口で再現してくれました。 (さらに…)…