昭和12年生まれの黒野富太郎さんは、小学校高学年から中学生の頃、近所に住むおじいさんとよく釣りに行っていました。釣り餌であるゴカイを朝潮運河で捕ったときの記憶です。 (さらに…)…
昭和12年生まれの黒野富太郎さんの記憶。現在、晴海総合高校がある場所には、かつて月島第一中学校がありました。それができる以前、戦中戦後の食糧難の時代に、黒野さんたちはそこで芋を育てていたそうです。 (さらに…)…
夏の一大イベントとなった月島の草市は、もともと明治時代末期といわれています。戦後の草市のにぎわいは東京で1,2を争うほどだという話も聞きます。寺本さんに、月島草市の成り立ちと、昭和20年代の盛況ぶりについてお話いただきました。 (さらに…)…
かね重の寺本さんが、ご自身の戦時中の体験、戦後の商店街の取り組みについて語っていただいた部分を抜粋しました(一部要約) ☆お話しいただいた方のプロフィール 寺本政美さん 昭和7年(1932年)月島生まれ。7人兄…
昭和7年生まれの松原さんが女学生だった戦後、米は貴重品。親はやりくりが大変、子どもも食べたくても我慢しなければならなかったという当時の状況がよく伝わってきます。 (さらに…)…
昭和12年生まれの黒野さんが疎開先から月島に戻ってきた戦後すぐのお話です。酒屋を営んでいた黒野さんのお宅に味噌を借りに来る人、そして、お隣のお宅にも…。戦後まもない頃の1シーンからさまざまなことが想像されます。 (さらに…)…