月島第二小学校の隣にある月島第二公園の一角には、かつて「水上寮」があり(古い地図には「水上小学校」と書かれているものもあります)、水上生活者の子どもが暮らしていました。佐藤さんの同級生の父親がそこの寮長をしていたということです。 水上生活者の同級生の想い出は、…
月島・西仲通り商店街に今も残る交番の裏手に、かつて映画館と芝居小屋がありました。昭和16年生まれの佐藤さんは幼い頃、かわいがってくれていた長屋のお姉さんにおぶられて、戦争映画を見た記憶があるようです。中学校になると、定期試験の終わった後は、母親が映画を見に行くことを許してくれ、中…
田中家の本家筋は網元として隆盛を誇っていましたが、寿子さんの祖父たち男兄弟は「放蕩しすぎるから」という理由で分家させられ、その後、祖父はコマセ問屋を始めました。今のように陸の交通網がない時代に、どのようにコマセ(アミジャコ)を各地に運んだのでしょう。また、コマセ問…
寿子さんの祖父、父とコマセ問屋を続けてきた田中家ですが、昭和20年代頃にコマセ(アミジャコ)そのものが捕れなくなったことから、海苔づくりやタタキと呼ばれる二艘の船による追い込み漁に移って行きました。タタキは男性のみで行われましたが、海苔の作業は寿子さんはじめ、女性…
田中家には、寿子さんの父が(おそらく大正時代に)福神丸を造った際に、記念に配ったという半纏が大切に残されています。そして祭りの夜、浅草などへ遊びに行く時に着た絽の着物に合わせた帯、これも百年以上の前のもので、その柄は「佃」の文字をモチーフとしたもので、現在の祭りの…
福田さんが長野県から佃にお嫁に来たのが昭和37年。最初、お見合いをするために「佃の渡し」で隅田川を渡ってきた時は、「どこに連れていかれるのか」と思ったそうです。まだ佃大橋が完成する前で、その場所には埋め立てられる前の佃川の河原がありました。そして、結婚して驚いたこ…
佃島の盆踊りとお祭りに関する思い出です。福田さんが長野からお嫁に来た頃、姑からは「嫁は盆踊りは踊っちゃいけない」と言われたそうです。その理由はわかりません。お祭りになると親戚が佃に帰って来るので、一日中お勝手に立ちっぱなしだったと語ります。故郷とはまったく違う地域…
2020年の秋、佃島説教所が取り壊される直前、渡邉さんに解説していただいた大変貴重な動画です。かつては珠算大会や書初め大会なども行われた55畳の本堂、浄土真宗のお寺の様式を整えた祭壇、葬式の際に割烹着姿のおかみさんが動き回った台所…。太鼓、梵鐘、おり…
2020年の秋に取り壊された佃島説教所について渡邉さんに解説いただいた動画です。本動画では表に出て、立地や意匠について説明していただきました。佃大橋の完成(昭和39年)する以前、説教所のすぐ裏には佃川が流れていました。川沿いに建っていた頃の思い出も含めて語っていた…
2020年の秋に佃島説教所が取り壊される前に、小屋組みの写真を撮影させていただきました。その写真をもとに、渡邉さんと、芝浦工大・志村秀明先生が建築の分析をしている映像です。その外観から典型的な寺院建築かと思いきや、小屋組みは洋組のトラス構造でした。志村先生は、説教所が建設された昭和9年頃の他の…