折本さんに船を出していただき、船入堀(佃堀)に関するお話を伺いました。子ども時代の遊びの思い出、祭りの幟が埋められている話、また最近の話として、佃島漁業組合に所属している江東区の船が台風時にここに避難してくることもあるそうです。「水面と陸地の目線がこれだけ近いのは…
月島八丁目(現在の勝どき)で生まれ育った佐藤さんの、幼い頃の戦争にまつわる記憶です。疎開先のこと、父が掘った防空壕に隠れたこと、戦後しばらくたってから日比谷公園のプールに遊びに行ったときに見た銀座・松屋の焼けた外壁のこと、そして、深川の小学生が空襲で大勢亡くなった…
月島八丁目(現在の勝どき)に生まれ育った佐藤さんの記憶です。サムネイルの地図は、昭和20年代の勝どきを思い出して佐藤さんが描いたものです。動画は八丁目の交差点、現在の勝どき駅前交差点からスタートし、晴海通りを勝鬨橋方面に歩きます。「勝どきサンスクェア」の再開発前には晴海通り沿いに商店が軒を連ね…
佐藤さんが物心ついた頃からの長屋の暮らしぶりやご近所との助け合いについてお話しています。佐藤さんが暮らしていた長屋は二階建てですが、上下階の入り口が別でした。モノのない時代、貧しい生活の中でも、お互いに食べ物を分けたりしていた住民たち。その頃は困っているという感覚…
動画のサムネイルに映っている地図は、佐藤さんが当時住んでいた長屋を思い出して描いたものです。長屋の上下に誰が住んでいたのかもちゃんと覚えているところがすごいです。その長屋の向かい側には引揚者が暮らす寮のようなものがあったといいます。そこで、戦争未亡人になった母娘が…
佐藤さんが月島第二小に通っていた頃、冬になると川べりの工場や聖路加病院から出される火のついたコークスを拾い集めていたそうです。当然、それらは各家庭で暖をとるためのもので、佐藤さんは張り切って拾い集め、ドラム缶一杯分=ひと冬分のコークスを集めて、両親や近所の人から褒…
昭和30年前後の記憶でしょうか、友達と月島八丁目(現在の勝どき)から歩いて東雲に海水浴に行った思い出です。暑い夏、なけなしのお金で先にアイスキャンディを買って食べてしまい、帰りはへとへとだったこと、おいていた衣類が満ち潮でびしょ濡れになってしまい、帰りは裸でかえってきたことなどを…
動画のサムネイルの写真は、佐藤さんが平成元年(1989)に住んでいたマンションから撮影したものです。その場所には今「勝どきサンスクェア」が立っています。写真には白い都営住宅や佐藤さんが通っていた銭湯が映っています。佐藤さんが生まれ育った長屋は銭湯と清澄通り(交差点…
佐藤さんの子どもの頃の遊びの思い出です。セルロイドのキューピーちゃんを使ったおままごと。ソロバンを廊下に見立てたり、家にあるものを使って遊んでいたそうです。シャンソンの歌い手でもある佐藤さんのエピソードには、懐かしい歌が多く登場します。まりつきに合わせて歌った歌、…
歌の得意な佐藤さんが、きれいな歌声を聴かせてくださいます。今もまちを歩きながら月二小の校歌を口ずさむと、通りがかりの子どもたちがびっくりすると言います。続けて昔の中央区歌を披露してくださいました。いつ頃までこの区歌が歌われていたのかは不明です。 […