月島の春です。月島区民センター向いの河津桜、白梅、自宅の沈丁花 (撮影:宮本) …
路地の入口(撮影:源) …
かね重の寺本さんが、月島西地区のまちの形成について語っていただいた部分を抜粋しました(一部要約) ☆お話しいただいた方のプロフィール 寺本政美さん 昭和7年(1932年)月島生まれ。7人兄弟の4人目。陶器店「かね重」店主(二代目)。 長…
かね重の寺本さんが、ご自身の戦時中の体験、戦後の商店街の取り組みについて語っていただいた部分を抜粋しました(一部要約) ☆お話しいただいた方のプロフィール 寺本政美さん 昭和7年(1932年)月島生まれ。7人兄…
(撮影:宮本) …
鉢植え・植木ものが所狭しと並ぶ路地、これが月島の代表的なイメージだと思う人も多いかと思いますが、宮本さんの幼少期、昭和30年代のはじめは、今ほど置かれていなかったそうです。このお話は近所の山本さんの家で咲いていたジンチョウゲ(沈丁花)にまつわるお話です。 (さらに…)…
動画「ジンチョウゲの思い出 宮本英一さん」の中で、昭和28年生まれの宮本さんは、「幼い頃、路地にはまだ植木ものがあまりおかれておらず、今よりも広かった」と語っています。 次の2枚の写真は、…
昭和15、16年頃。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの母:宮本多美子さん(大正15年生まれ) 15、16歳。場所は、宮本家の裏の田島さんの家のところで。 …
(画像をクリックすると拡大されます) 昭和18~19年頃。インタビューでお話いただいている宮本英一さんの母:多美子さん(松原美枝子さんの本の話にも登場)。 場所は勝鬨橋。勝鬨橋ができて3、4年後の頃。 勤め先は、橋向こうの海軍経理学校。勝鬨橋を歩いて渡って通勤していた。…
(画像をクリックすると拡大されます) 昭和18、9年。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの母:多美子さん。18、19歳のとき。写真屋さんで撮影。 …