昭和14年生まれの宮本邦夫さんが疎開先の長崎から戻ってきた昭和27年頃の記憶です。その頃竣工した月島第一中学校に通っていた宮本さん。そばにあった月島第三小学校は、戦時中は陸軍が使用していたこともあり、戦後、米軍によって接収されていました。宮本さんは、フェンスの向こ…
昭和14年生まれの宮本邦夫さんは、月島第一中学校の新校舎ができて最初に入学した学年です。卒業後、いったん月島機械で働きながら、日比谷高校の夜間学校に通い、勉強に目覚めたそうです。当時は、中卒で就職することはまだ当たり前の時代。友だちも地元の機械工場や河岸に就職した…
村田さんが当時通っていた月島第一中学校は築地にあり、放課後、晴海(当時は四号地)へ野球の練習に行くためには勝鬨橋を渡らなくてはなりませんでした。急ぐ少年たちの目の前で、合図とともに橋が開き始めた!…橋の見張り役?のおじさんとのやりとりです。 (…
村田さんが小学校に入学した昭和16年は、軍事教育真っ盛りで、先生から殴られることも多かったそうです。あるとき先生に殴られて帰ったときのお父さんとの会話、そして、戦後、軍服を着た先生とのやりとりです。 (さらに…)…
昭和7年生まれの寺本さんが小学校に入学してまもなく、軍国主義教育が熱を帯び、幼心にもいずれ戦地に向かうという覚悟をしていたそうです。そんな状況でも、やはり子どもは遊びになると夢中になって駆け回っていたという記憶です。 (さらに…)…