2020年の秋、佃島説教所が取り壊される直前、渡邉さんに解説していただいた大変貴重な動画です。かつては珠算大会や書初め大会なども行われた55畳の本堂、浄土真宗のお寺の様式を整えた祭壇、葬式の際に割烹着姿のおかみさんが動き回った台所…。太鼓、梵鐘、おり…
2020年の秋に取り壊された佃島説教所について渡邉さんに解説いただいた動画です。本動画では表に出て、立地や意匠について説明していただきました。佃大橋の完成(昭和39年)する以前、説教所のすぐ裏には佃川が流れていました。川沿いに建っていた頃の思い出も含めて語っていた…
2020年の秋に佃島説教所が取り壊される前に、小屋組みの写真を撮影させていただきました。その写真をもとに、渡邉さんと、芝浦工大・志村秀明先生が建築の分析をしている映像です。その外観から典型的な寺院建築かと思いきや、小屋組みは洋組のトラス構造でした。志村先生は、説教所が建設された昭和9年頃の他の…
田中さんが小学校に上がる頃に近所にできた「三角公園」。そして、夏のラジオ体操と町内の水撒き。遊ぶのはいつも登校班の仲間でした。上級生のお兄さんお姉さんがさまざまな遊びを考案し、みんなで一緒になって遊ぶ。小さな弟や妹(おまめ)が泣き出したりお漏らしした時は、お兄さん…
田中さんの結婚式、「佃囃子」がハレの舞台を盛り上げてくれたという思い出と、佃には親戚同士の強い結びつきはもちろん、親戚のような深いお付き合いをしている家がどの家にもあった、というお話です。今では、お年始に、河岸の屋号の入った手ぬぐいをご近所に配って回るという光景も…
「『いるの?』と声がして、『いるよ』と答えた時には、もう茶の間に座っている」「雨が落ちてきて『雨降ってきたよ~』と声をかけるのは当たり前で、家の中まで入って行って洗濯物を取り込んだこともある」、さらには「火事があっても上がって行って、家財を全部運び出す」という、佃…
〝お年頃”になった田中さんがおつかいや銭湯に行くため佃小橋を通ると、「こっちが知らなくても、あっちは私のことを知っている」という老人たちから声を掛けられたり冷やかされた、というエピソードです。「漁師には潮目を見る習慣があった。その名残りだったのかもしれ…
住吉講は、主に佃住吉神社の神事をサポートする役割があり、その最大の行事が三年に一度の例大祭になります。近年では初詣の際の交通整理も担っています。一部(上町)、二部(下町)、三部(東町)に分かれており、厳しい規則を大切に守りながら今日まで運営が続いてきました。三部の重鎮である中澤さんが、その活動…
父の代まで漁師だったという中澤家。中澤さんがまだ幼い頃、父の木造船に乗って、当時は漁場だったお台場まで漁に行った記憶、そして、寒さの厳しい冬に海苔を漉く手伝いをしていた思い出を語ってくださいました。当時の船入堀(佃堀)は冬になると一帯が海苔干し場となったようです。昭和三十年代の写真や地図も交え…
銭湯(「日の出湯」、その前は「佃湯」という名だったという説もあり)から佃小橋周辺の光景。漁師や、天秤棒を担いで魚を売り歩いていた人たち(ぼてふり)が仕事が終わり、風呂から上がると、佃小橋で夕涼みを始める…。その光景を、中澤さんがユーモラスに語ってくださいました。かつての佃ならでは…