鈴木さんが月島第二小学校の六年生のとき、昭和15年に勝鬨橋が開通しました。学校の前へ出て日の丸を振り、橋があがったところに傷痍軍人が乗った真っ白い船が隅田川を通っていったそうです。今から80年以上前の出来事を鮮明に覚えておられ、それを記録できる貴重なインタビューで…
勝鬨橋の開通式の時に小学校6年生だった鈴木さん。その後、20代の頃に、なんと勝鬨橋の接点の部分の掃除をしたことがあるという貴重なお話をしてくださいました。そのときの状況については動画を見ていただくのがわかりやすいですが、高所作業にも関わらず安全ベルトをしていなかっ…
隅田川近くの月島1丁目児童遊園のあたりで思い出を語っていただきました。中島さんの父が勝鬨橋から飛び込んで、水上警察に追われながら隅田川から上がってまちを走って逃げた、というエピソードや、堤防がない頃の隅田川沿いでの遊び、勝鬨橋が開いた時の風景、佃大橋の開通式にまつ…
一つ目は中島さんが兄が生まれた頃(昭和24年)の父の、佃の渡しにまつわるエピソードです。二つ目は、お店の売上金を持ち逃げした従業員を捕まえた時の、母のエピソードです。浅野家のエピソードは昭和のホームドラマ、漫画、映画に描かれる世界を地でいっている強烈な面白さがあり…
以前、(今の)月島2丁目にお住まいだった神居さんからご提供いただいた写真です。 以下、いただいた写真説明です。 (神居さんにについてはこちらをご覧ください) 晴海に「小野田レミコン(小野田セメント)」があり、これを搬出するのに鉄…
昭和26年生まれの大山さんの勝鬨橋にまつわる思い出です。「開くのが当たり前」だったいう子どもの頃。昭和35年頃から次第に開かなくなってきたという馬場吉昭さんの記憶がありますから、このエピソードは昭和30年代前半頃でしょうか。 橋が開いた時に巻き起こる土煙、開き…
「僕たちが子どもの頃は月島には緑が少なく、今ほどセミがいなかった」。楠さんたちは勝どきから都電に乗って、日比谷公園にセミ捕りに出かけました。そして、そこでちょっとしたハプニングが…。大らかな空気が流れる時代の、夏の思い出です。 (さ…
昭和15年生まれの高梨さん。馬場吉昭さんの一級下です。高梨さんが都電に乗って通勤している時に勝鬨橋が開くことがあったそうです。その時のことを語ってくださいました。(合いの手は馬場さんの声です) (さらに…)…
昭和14年生まれの宮本邦夫さんが、月島を歩きながら生活の記憶を語ってくださいました。 パート3は清澄通りからスタート。都電の話では、かつての路線番号をスラスラ覚えているのがさすがです。月島第一公園では、野球をしていたことがあったとか。隅には月島第一小学校の生徒が授業で泳ぐプール…
月島三丁目の大山隆三さん(S26年生まれ)が提供してくださった勝鬨橋の写真です。(月島第二小学校90周年同窓会より) 撮影した時代は確認中です(ホームページのカテゴリーは昭和30年代としました) …