昭和14年生まれの宮本邦夫さんの記憶。戦後、晴海を接収していた米軍が撤収したあと、昭和34年に開場したのが晴海国際見本市会場。冬はスケートリンクになっていたそうです。娯楽がまだ少なかった時代、宮本さんも何度も足を運んでスケートを楽しんだそうです。 …
昭和12年生まれの黒野さんが子どもの頃の隅田川や川沿いの光景。堤防は無く、水がきれいでアミの大群が押し寄せてきた隅田川。当時の子どもたちは大人や警察に怒られながらも泳いだりしていたそうです。そして、川沿いには水産加工会社(大洋漁業)や造船所があった。大洋漁業の横に…
昭和12年生まれの黒野さんの小学生時代の思い出。隅田川沿いにあった大洋漁業の製氷工場での思い出です。働くおじさんたちに怒られながらも、氷めがけて飛んでいく子どもたちの様子が思い浮かびます。 (さらに…)…
戦後、進駐軍に捕鯨再開が認められ、その第一船が築地に入ってきたときの町の様子です。海が近く、水に囲まれたこのエリアならではの光景です。 (さらに…)…
昭和12年生まれの黒野さんは、近所のおじいさんに釣りを教えてもらいながら、よく一緒に出かけていたそうです。隅田川では「ブッコミ釣り」でセイゴなどを、月島川ではハゼ、そしておじいさんの小舟で沖まで出た時は…。今では考えられないような話ですが、食糧難だっ…
昭和12年生まれの黒野富太郎さんは、小学校高学年から中学生の頃、近所に住むおじいさんとよく釣りに行っていました。釣り餌であるゴカイを朝潮運河で捕ったときの記憶です。 (さらに…)…
昭和12年生まれの黒野富太郎さんの記憶。現在、晴海総合高校がある場所には、かつて月島第一中学校がありました。それができる以前、戦中戦後の食糧難の時代に、黒野さんたちはそこで芋を育てていたそうです。 (さらに…)…
2018年10月28日に西仲通り商店街で行われたハッピーハロウィンの様子です。 さまざまな趣向を凝らして来場者を楽しませている地域の皆さんの様子がほほえましいです。 (さらに…)…
昭和40年生まれの塚田さん(右)、43年生まれの志村さん(左)、お二人が小さい頃にもっとも人気があったスポーツといえば野球でしょう。昭和50年頃の月島は、まだ車の通行量も少なく、2人揃えば道路でキャッチボールをしていたそうです。 相手が見つからない時は、近所の…
「泥警」「警泥」警察役と泥棒役のかくれんぼ遊びです。今の子どもたちもやっていますね。表路地のみならず裏路地もあった当時の月島で繰り広げられたドロケイは、どんな様子だったのでしょうか? (さらに…)…