小学校から帰り、小腹がすいた宮本少年が好んで向かう先は、自宅の近所にあったもんじゃ焼き屋さん。そのお店の印象、そして、もんじゃを食べ終わったあとにも楽しみがあったようです。 塚田さん・志村さんの動画にもありますが、昔は子ども向けのもんじゃ焼き屋さん…
西仲通りの真ん中にあり、現在、月島警察署の「西仲通地域安全センター」となっている交番は、日本で最古の交番(1926年)と言われています。その近くに、かつては映画館と芝居小屋(芝居もできる映画館という説もあり)がありました。娯楽の少ない時代、多くの人が足を運んだとい…
昭和7年生まれの松原さんが女学生だった戦後、米は貴重品。親はやりくりが大変、子どもも食べたくても我慢しなければならなかったという当時の状況がよく伝わってきます。 (さらに…)…
昭和7年生まれの松原さんの戦後の近所づきあいは、今とは比較にならないほど親密だったのでしょう。互いに食料やモノを融通しあっていた当時の様子が垣間見える記憶です。 (さらに…)…
昭和12年生まれの黒野さんの小学生くらいの記憶。戦後、NHKの街頭録音が始まり月島にもやってきた際、当時の子どもたちが「将来は何になりたい?」と聞かれて答えたのは…。戦後の時代性や地域性が感じられるお話です。 (さらに…)…
昭和12年生まれの黒野富太郎さんは、特に月島をとりまく「水辺」への思いが深いといいます。しかし、戦後間もない食料が不足している時代、それは単なる遊びではなく、生活のために魚や貝を捕るという側面もあったようです。 (さらに…)…