(画像をクリックすると拡大されます) 昭和25、6年。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの祖父の会社、中立造船の仕事場。場所は豊洲。 …
昭和25年頃。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの祖父。中立造船の船。場所は、豊洲の仕事場。 その後、肺の病気になり、この会社を辞めて、体調が回復後、船やヨットの修理の仕事をするようになり、その後、ご近所の家の修理などをする大工として活躍されました。 …
(画像をクリックすると拡大されます) 昭和43年11月3日。当時、長屋ではどの家も、国民の祝日には日の丸を掲げていた。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの祖父と、同じく邦夫さんの長男(1歳)。場所は月島3丁目宮本家の前。 宮本さんの祖父はこの時は造船所を辞めて、ご近所…
(画像をクリックすると拡大されます) 昭和44年。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの祖父と、同じく宮本邦夫さんの長男(2歳)。場所は月島3丁目宮本家の前。 …
(画像をクリックすると拡大されます) 昭和52年。インタビューにお話しいただいていた宮本英一さんの祖母と、同じく宮本邦夫さんの長女(2歳ぐらい)。場所は、月島3丁目宮本家のそば。両側にたくさんの鉢植えが並ぶ。 写真、向かって左側、ジンチョウゲの話に出てくる山本さんの家の前や…
昭和7年生まれの松原さんが女学生だった戦後、米は貴重品。親はやりくりが大変、子どもも食べたくても我慢しなければならなかったという当時の状況がよく伝わってきます。 (さらに…)…
昭和7年生まれの松原さんが女学生の頃の記憶です。「自分の家も、ご近所も大して変わらないくらい行き来していた」というコメントから、当時の近所づきあいがうかがえます。 (さらに…)…
昭和7年生まれの松原さんの戦後の近所づきあいは、今とは比較にならないほど親密だったのでしょう。互いに食料やモノを融通しあっていた当時の様子が垣間見える記憶です。 (さらに…)…
昭和7年生まれの松原さんの女学生の頃の記憶。パチンコの景品をもってきたおばさんに気を利かせる母。「お風呂どうぞ」と声をかけてくれる隣人。人情味豊かな近所づきあいの1シーンです。 (さらに…)…
昭和7年生まれの松原さんは読書が好きだったそうです。お隣の年の離れたお姉さんのところで本を読ませてもらったり、渡船に乗って図書館に行ったり。松原さんのかわいらしい語り口で、生き生きとした様子が浮かんできます。 (さらに…)…