夏のある日、活発なお姉さんが、「路地でお化け大会をやろう」と言い出して、友達と一緒に実行した思い出です。大らかな、時代の雰囲気を思い起こさせるお話です。 (さらに…)…
路地には表路地と裏路地があって、裏路地ではおかあさんやおばあちゃんがご飯を炊いたり、洗濯をしたり、おしゃべりをしたりしていた、というお話です。炊飯器や洗濯機もない時代の話ですが、宮本さんの語りから、その頃の生き生きした雰囲気を感じることができます。 (さらに…
宮本さんが子どもの頃、正月になると獅子舞が佃から月島に回ってきて、家の中で舞を披露してくれた、という思い出です。 それが当時の子どもたちにとっても、大きな楽しみだったようです。 (さらに…)…
小学校から帰り、小腹がすいた宮本少年が好んで向かう先は、自宅の近所にあったもんじゃ焼き屋さん。そのお店の印象、そして、もんじゃを食べ終わったあとにも楽しみがあったようです。 塚田さん・志村さんの動画にもありますが、昔は子ども向けのもんじゃ焼き屋さん…
西仲通りの真ん中にあり、現在、月島警察署の「西仲通地域安全センター」となっている交番は、日本で最古の交番(1926年)と言われています。その近くに、かつては映画館と芝居小屋(芝居もできる映画館という説もあり)がありました。娯楽の少ない時代、多くの人が足を運んだとい…
動画「ジンチョウゲの思い出 宮本英一さん」の中で、昭和28年生まれの宮本さんは、「幼い頃、路地にはまだ植木ものがあまりおかれておらず、今よりも広かった」と語っています。 次の2枚の写真は、…
昭和15、16年頃。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの母:宮本多美子さん(大正15年生まれ) 15、16歳。場所は、宮本家の裏の田島さんの家のところで。 …
(画像をクリックすると拡大されます) 昭和18~19年頃。インタビューでお話いただいている宮本英一さんの母:多美子さん(松原美枝子さんの本の話にも登場)。 場所は勝鬨橋。勝鬨橋ができて3、4年後の頃。 勤め先は、橋向こうの海軍経理学校。勝鬨橋を歩いて渡って通勤していた。…
(画像をクリックすると拡大されます) 昭和18、9年。インタビューでお話いただいた宮本英一さんの母:多美子さん。18、19歳のとき。写真屋さんで撮影。 …
昭和19年。上の三人、左から山本ようこさん、インタビューでお話いただいた宮本英一さんの母:多美子さん、インタビューでお話いただいた松原美枝子さん。月島3丁目路地周辺。 …