2018年の7月に開催された草市の様子を撮影しました。 月島西仲通りの草市は、お盆前の土日に行われています。草市には、相生橋の向こうの深川や、もっと遠くからも大勢の人がやってきて大変賑わいます。 草市は元々お盆用品を売るために始まったようです(寺本正美さんのお話にもあります)…
昭和15年生まれの黒野さんが横須賀から月島にお嫁に来た頃の思い出です。「佃の渡し」の最後の日、渡船に乗って月島にやってきた際は、「ああ、すごいところにきちゃうんだ」と思ったそうです。当時はまだ長屋だった黒野家に実母がやってきた時の話など、興味深いお話です。 [youtube…
黒野紀代美さんが月島に嫁いできたとき、当時お隣に暮らしていたおばあちゃんは、親戚だとずっと思っていたそうです。それくらい、いつも黒野さんのお宅にいらしたのだとか。支え・支えられという月島らしい近所づきあいを語ってくださいました。 (さらに…)…
電子レンジが発売されて、いち早く家庭に導入したときの、かわいらしいエピソードです。当時、お隣に住んでいたお嬢さんとは現在も親子のようにお付き合いしているそうです。 (さらに…)…
清澄通りを戦車が走っていたという戦争中の記憶です。戦時中の地域の様子も語られています。 (さらに…)…
戦時中は空襲に備えて防空壕を掘りました。しかし、埋め立て地である月島では、穴を掘ると水がにじみ出てくることもあったようです。空襲警報が鳴り敵機が近づいてくる中、近所の方がとった行動にも胸が熱くなります。 (さらに…)…
昭和14年の宮本邦夫さんが疎開先の長崎で小学校を卒業し、月島に戻ってきた頃のお話。近所に住む先輩と路地でいろいろな遊びをした思い出です。 (さらに…)…
昭和40年に二十歳で月島に嫁いできた池本さん。それまで暮らしていた豊島区と月島の街並みや生活文化の違いに驚きを隠せなかったそうです。 (さらに…)…
池本さんが二十歳まで暮らしていた豊島区と月島では、住民同士のつながりもかなり異なっていたようです。何かあるとみんなが集まって協力し合う、そこでいろんなことを学ばせてもらったと、往時をしのんでいらっしゃいました。 (さらに…)…
昭和40年代の前半は、今ほどは経済的に豊かではなかったけど、心は豊かだった…。季節の行事を心待ちにし、忙しくてもみんなで運営に協力し、そして楽しむ。人々の絆が強く感じられたいい時代だったと振り返っておられます。 (さらに…)…