戦時中は空襲に備えて防空壕を掘りました。しかし、埋め立て地である月島では、穴を掘ると水がにじみ出てくることもあったようです。空襲警報が鳴り敵機が近づいてくる中、近所の方がとった行動にも胸が熱くなります。 (さらに…)…
201920182019 昭和19年の防火訓練の記念写真。このとき行なわれたかどうかは分からないが、防火訓練ではバケツリレーなどをしていた。インタビューにお話しいただいている松原さんの母親も参加。 詳しい場所は不明。 …
昭和19年。インタビューでお話いただいた松原美枝子さんの兄:利夫さん(右から3番目の男性)が陸軍に出征するということで、近所の人が集まって写真を撮ったときのもの。場所は、松原家の隣、宮本家の前。 このとき、お向いの山本洋子さんのご主人も海軍出征されたそうです。 …
昭和7年生まれの松原さんが女学生だった戦後、米は貴重品。親はやりくりが大変、子どもも食べたくても我慢しなければならなかったという当時の状況がよく伝わってきます。 (さらに…)…
昭和12年生まれの黒野さんが疎開先から月島に戻ってきた戦後すぐのお話です。酒屋を営んでいた黒野さんのお宅に味噌を借りに来る人、そして、お隣のお宅にも…。戦後まもない頃の1シーンからさまざまなことが想像されます。 (さらに…)…